【YS-11量産初号機】戦後初の国産旅客機、深夜の東京都内を陸送、茨城の「ザ・ヒロサワ・シティ」で公開展示へ
戦後初の国産旅客機「YS11」が28日、機体を分解された状態で筑西市茂田の観光施設「ザ・ヒロサワ・シティ」構内に搬入された。約半年間にわたる機体の組み立て作業の後、10月初旬にも同構内の格納庫に完全な姿で展示される。隣には蒸気機関車「D51形」などがあり、日本近代を飾る産業遺産の「宝庫」として脚光を浴びそうだ。
運び込まれた機体は、運輸省(現国土交通省)が1965年に購入した量産初号機。空路の安全性を確認する「飛行検査機」として利用された後、98年に退役。その後は国立科学博物館が羽田空港(東京都大田区)で保管してきた。ザ・ヒロサワ・シティは、同博物館から機体の貸与を受ける形で展示公開する。
総重量は約15トンで胴体約8トン、主翼各約2トン。分解された各パーツは同日午前0時すぎ、同空港をトレーラーに載せられて出発し、同5時ごろ、筑西市に到着した。高さ約15メートル、幅約50メートル、奥行き約40メートルの鉄骨造りの格納庫は、機体を保管するために新設した。
搬入作業を見守った同博物館産業技術史資料情報センター長の鈴木一義さん(62)は「飛行機を20年間守ってきて、初めて公開し多くの人に見てもらうことができる。ぜひ見に来てください」と話した。
機体の組み立ての過程も公開する。
これって、胴体だけの輸送の姿を見た一般の方は、新幹線の車両輸送と思うんだろうな。
飛行機だと気付く人は多くないと思う。
三菱のスペースジェットが中々認可されないようだが、この「YS11」は真円の導体を採用した戦後初の国産旅客機なんだよなあ。
当時は当然ながらフライ・バイ・ワイヤと言う技術はなく、すべての操作がワイヤーで繋がっていて操縦するのにすごい体力がいると言われている機体だ。
海外ではアメリカみたいに、未だにDC-3やB-17なんかが飛べる活躍の場がある。
あっちは古い飛行機への愛着が日本の比じゃないから羨ましい。
よく電車とかSLなどの保管展示って、その殆どが2~3年で見るも無残な姿になるのを見かける。
今回は、専用の格納庫を新築しての展示になるようなので大丈夫だと信じたい。
ヒロサワさん、よろしくおねがいしますね。
自衛隊でも活躍のYS-11。
F4の退役などもあり、古い機種の姿がどんどん見れなくなるのが惜しまれるが、これも時代の流れというものか。
今後は、三菱のスペースジェットを始め、F2戦闘機の後継機である次期戦闘機が活躍することを期待するばかりだ。
続きは動画の中で・・・