【AK47】設計者カラシニコフ生誕100年 ロシアの英雄の名誉と晩年の苦悩とは?
ロシアの英雄とたたえられた同氏は晩年、自らが設計した銃で大勢の人が殺されていることに苦悩していたという。
ロシアの首都モスクワ西部にある勝利博物館では、AK47の特別展が開催されており、若い士官候補生ら来場者が銃を組み立てたり、自撮りをしたりしていた。
同博物館のアレクサンドル・エルマコフ副館長は、カラシニコフの物語が「次世代のカラシニコフ」を刺激することを期待していると話す。
2013年に94歳で亡くなったカラシニコフ氏は、ロシアの国民的英雄であり、軍の栄光の歴史の象徴だと考えられている。
信頼性・耐久性・生産性・低コスト等、その全てが及第点以上の「AK47」
そんな銃を設計した、ミハイル・カラシニコフ氏。
良くも悪くも武器の歴史に名前を刻んだ人物だ。
女子供でも分解整備ができて、梯子の代わりにもなるくらい丈夫で、灼熱の砂漠でも、極寒のシベリアでも故障が少なく、軍用小銃としては優秀。
冷戦終了と共にまたたく間に普及して、今ではテロ組織の代名詞のような小銃になってしまった。
銃器の歴史の中では、画期的だったことは間違いないだろう。
しかし「世界で最も人を殺した小銃」となってしまったことに、開発者の心中は我々凡人には計り知れない苦悩が有ったのだろう。
ただ逆を言えば、味方を、或いは国を一番守った銃と評することも出来るはずだ。
カラシニコフ氏は
「使う人間の問題であって銃に責任は無い」と語っていた。
彼は只々、祖国を守るという意識のもとに、この銃を設計したのだろう…
続きは動画の中で・・・