【飛虎将軍企画展】杉浦茂峰兵曹長「神」になった零戦パイロット!茨城で企画展開催中【日台友好】
先の大戦末期に台湾南部の台南市で戦死し、現地で「神」と呼ばれる水戸市出身の零戦パイロット、杉浦茂峰兵曹長をテーマにした企画展が5日、茨城県笠間市の筑波海軍航空隊記念館で始まる。杉浦氏をまつっている台南市の「鎮安堂飛虎将軍廟(ちんあんどうひこしょうぐんびょう)」に注目し、その生涯を紹介する。同館の担当者は「杉浦氏が現代まで残した台湾とのつながりを感じてほしい」と話している。
台湾の人々が名づけた「飛虎将軍」という杉浦氏の呼び名は、その死にざまに由来する。
1944(昭和19)年10月、杉浦氏は、零戦パイロットとして台南市上空で米軍機と交戦中に被弾した。集落への墜落を避けるため郊外まで操縦して脱出、落下傘で降下したところで米軍機の機銃掃射を浴び、20歳の若さで戦死した。
死が迫る中で住民の命を守ろうとした杉浦氏をたたえ、地元の有志らは71(昭和46)年にほこらを建て、93(平成5)年に約160平方メートルの廟に建て直した。現在も「守り神」として手厚くまつられ、旅行者も多く訪れているという。
戦闘機から脱出せずに 自分の命を懸け住宅地を避けて住民の生命を守った、ゼロ戦パイロット。
杉浦茂峰兵曹長を「飛虎将軍」として崇め、「守り神」として手厚く祀ってくださる台湾の皆様方の心遣いを心底嬉しく思う。
米軍機の「パラシュート降下中の機銃掃射」には賛否両論有るが、人道的な論議を外せば、機体を撃墜してもパイロットが生還すれば、また別の機体で戦線復帰する可能性が高い。
パイロットの養成には年単位の時間がかかる。
戦争の真っ只中では致し方なかったのかも知れない。
いずれにしても、国家は変われど、戦前・戦中・戦後 と日台の絆は深い。
中でも 白団(軍事顧問団)の派遣、根本博 による国民党軍の指揮(金門砲戦)等、特に対中共への敵対関係においての繋がりがとても根強い。
これは今後の日台関係においても継続・強化していくべきであろう…
続きは動画の中で・・・